③1 野根山二十三士(野根山事件)

野根山二十三士(野根山事件)

[勤王の大獄]
  文久3年(1863)全国的に勤王弾圧が強まり、土佐藩でも勤王弾圧を強め勤王志士たちを次々と投獄するようになった。

[二十三士の岩佐屯集]
  元治元年(1864)7月、土佐東部の勤王志士23人は野根山岩佐に屯集し藩庁に「藩政を勤王に改め、獄中の土佐勤王党主武市半平太など勤王志士たちの釈放」の嘆願書を出した。しかし嘆願書は拒否され、逆に討伐隊が岩佐へ向かった。

[阿波宍喰へ越境]
  二十三士は岩佐を出て、阿波国宍喰に越境し、海部郡奉行所に「我らは京都大阪へ行きたいので取り計らってほしい」と嘆願した。しかし阿波国も勤王弾圧の最中であり、望みかなわず、約1カ月間阿波国牟岐に預けられ、土佐へ送還となった。国境で阿波から土佐へ引き渡されたとたん、罪人駕籠に押し込められ、田野の牢獄に送還された。

[奈半利川原で処刑]
  同年9月、二十三士は、野根山街道を通って田野の安芸郡奉行所の牢獄に収容され、同5日、取り調べもないまま奈半利川原で斬首された。これにより土佐の勤王運動は大きな痛手をうけた。いっぽう坂本龍馬や中岡慎太郎など、脱藩した勤王志士は薩摩や長州でめざましい活躍をした。

[史跡・真乗寺]
  甲浦中町の真乗寺は土佐藩討伐隊本部となった。またこの寺は土佐南学中興の祖・谷時中の生誕地であり、記念碑も建立されている。

*関連ページ
⑤1 東股番所跡(ひがしまたばんしょあと)
⑥1 真乗寺(しんじょうじ)と、谷時中(たに・じちゅう)


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