③2 江藤新平の遭厄記念碑




 江藤新平の遭厄記念碑

  明治維新の功労者・もと司法卿の江藤新平は、人権運動の父、自由民権運動の先駆者と言われている。明治7年、新政府は佐賀県の不満士族をわざと挑発して反乱(佐賀戦争)を起こさせた。江藤新平は反乱士族を説得するため佐賀に帰ったが、意に反して反乱軍の首謀者に仕立てられた。

  江藤は、佐賀の戦場を抜け出し、板垣退助や林有造らを頼って高知県に来たが助けてもらえず、東京へ向かう途中、同年3月29日甲浦で捕縛された。そして九州に送られて処刑された。岩倉具視・大久保利通・伊藤博文ら政権奪取派と、西郷隆盛・板垣退助・江藤新平ら征韓派との政争事件であった。

  明治22年、江藤は西郷隆盛らとともに逆賊から一転して明治維新功労者となり、大正5年正四位が贈位された。翌6年、甲浦青年団により「江藤新平君遭厄記念碑」が建立された。現在この記念碑は平和塔敷地内にある。

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