⑥3 超願寺跡(正式名ちょうがんじ、呼称ちょんがんじ)




超願寺跡(正式名ちょうがんじ、呼称ちょんがんじ)

[超願寺跡]
  建永2年(1207)浄土宗開祖の法然上人が流刑され、一時甲浦に草庵を結んで滞在し、浄土宗を布教した。その跡にできたとされるのが浄土宗超願寺。もとは大寺院で、長宗我部元親の養子が住職となり、元親の位牌もあった。江戸時代は参勤交代の宿所にもなった。現在は無住職の小庵で、悲劇の甲浦代官冨永伊織夫妻の墓、庚申様、弁天池などがある。町指定史跡。

[冨永伊織夫妻の墓]
  寛永10年(1633)甲浦代官冨永伊織と、普請役人沢三之丞との刃傷事件(通称・三十三年目の因縁)があり、三之丞は横死、伊織は切腹した。この事件の史跡は、甲浦中町の冨永伊織神社、甲浦八幡宮脇社の若宮神社、白浜の妙見神社、白浜光本米穀店前の供養地蔵などがある。

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