⑨1 白浜の町なみ・ぶっちょう造民家
白浜の町なみ・ぶっちょう造 民家
白浜地区は江戸時代初期の寛永9年(1632)に、明神信勝が藩命により開拓した新浦。町屋は間口3間半で整然と区画され、ぶっちょう造りの家が多い。ウワミセとシタミセを閉じれば雨戸、開ければ縁台。玄関から裏口まで通しの土間、まいら戸で土間と座敷を仕切る。ひさしが長いので夏は陽ざしが部屋まで届かず、冬は陽ざしが斜めに部屋まで届く。夏涼しく冬暖かい民家様式。ぶっちょうの正式名は蔀帳(ぶちょう)と言い、昔は京阪神の町屋や、高知県の海岸線にも多かったが、現在は、東洋町や徳島県の下灘地方に残る。屋根瓦には「淡路の千枚葺き」様式が少数見られる。
[ 白浜の町なみ・ぶっちょう造り民家]
白浜地区は江戸時代初期の寛永9年(1632)に開拓された。間口3間半で整然と区画され、ぶっちょう造りの家が多い。ぶっちょうの正式名は蔀帳(ぶちょう)で、
高温多湿や暴風雨に対応している。シタミセを閉じれば雨戸、開ければ縁台。誰もがシタミセに立ち寄れる開放的な民家で、昔は京阪神や、高知県の海岸線でも多く見られた。現在は東洋町や徳島県の下灘地方に残っている文化遺産。五社神社(ごしやじんじゃ)は寛文9年(1669)創建。白浜の開祖・明神信勝と住吉四神とを祭る。毎年5月上旬の祭りには、みこしとダンジリのせかし合い。