④7 野根城館跡と、躍堂(おどりどう)
野根城館跡と、躍堂(おどりどう)
中村地区の古土居の平地に、野根城館があり、戦国時代末期に野根氏が本拠とした。この城館は長宗我部時代になると代官桑名将監が住んだ。また、野根中学校と小学校の間の水田地帯を躍堂と言い、昔、ここで野根氏の一族が盆踊りの最中に長宗我部元親軍の奇襲攻撃をうけた。野根氏は戦わずして甲浦へ逃げ、さらに阿波国へと落ちのびていった。躍堂の水田地下から出土した五輪塔数基は、宝寿寺境内に移されている。古土居の城館跡の地下からは、長宗我部軍の焼き打ちによる炭化した地層が確認されている。
中村地区の古土居の平地に、野根城館があり、戦国時代末期に野根氏が本拠とした。この城館は長宗我部時代になると代官桑名将監が住んだ。また、野根中学校と小学校の間の水田地帯を躍堂と言い、昔、ここで野根氏の一族が盆踊りの最中に長宗我部元親軍の奇襲攻撃をうけた。野根氏は戦わずして甲浦へ逃げ、さらに阿波国へと落ちのびていった。躍堂の水田地下から出土した五輪塔数基は、宝寿寺境内に移されている。古土居の城館跡の地下からは、長宗我部軍の焼き打ちによる炭化した地層が確認されている。