③4 義侠人・福村安兵衛(ふくむらやすべえ)の墓


義侠人・福村安兵衛(ふくむらやすべえ)の墓

  文久3年(1863)天誅組の大和義挙で、吉村虎太郎ら土佐の勤王志士が多数戦死した。現安田町中山出身の石田英吉は、このとき重傷を負って幕府軍から逃れた。それを助けたのは野根浦の豪商・帯屋こと福村安兵衛であった。安兵衛は自船の船底に石田をかくまって大阪から脱出させた。

  安兵衛に救けられた石田英吉は維新後に出世して、高知県知事になったとき田野町福田寺の野根山二十三士顕彰碑建立に尽力した。石田は、命の恩人安兵衛の恩に報いるため、安兵衛の息子武太郎の留学を支援した。

  明治7年、佐賀戦争から抜け出して高知県に来た元司法卿江藤新平も安兵衛の義侠心を頼って野根浦に来たのだが、あいにく安兵衛が不在だったため、助けてもらえず、甲浦まで来て捕縛されたのだった。

  白小石共同墓地に福村家の墓があり、安兵衛戒名・聞法院乗宗居士=船に乗せた「乗」の一字。息子武太郎戒名・特留院斯經居士=留学の「留」の一字が彼らの人生を語っている。


人気の投稿